税理士のメーカー
夫人は、再び、独身時代に勤めていたデパートに契約社員として働きはじめた。
少し前まで、彼女は元同僚の間で羨望の的だったはずである。
夫は立派な会社の社長であり、住まいは田園調布の豪華な一軒家……。
それがいまや夫の会社は倒産し、田園調布の家も手放し、住まいを点々とする暮らし……。
普通なら、以前とは別の職場を選ぶのではないだろうか。
だが、夫人はあえて、顔をだしづらい元職場を選んだのだ。
そして、「パパが大変なんだから、私だって、大変な思いをするのは当たり前」といった。
Nが、生涯の伴侶は彼女以外考えられないと、手放しで公言するのもよくわかる。
Nの1人娘はまだ小学校の低学年だった。
倒産とは、家族を、つまりは子どもをも容赦なく巻き込んでしまう。
倒産により、手元の債権が紙切れ同様になってしまったのだから、債権者がなんとか、その一部だけでも取り立てたいという気持ちは当然である。
だから債権者は、夜となく昼となく、債務者の自宅にまで容赦なく押しかける。
そして、債務者を極悪人のように面罵するのだ。
そうした取り立てから、家族を守るために、住まいを転々とする。
Nの場合も、1人娘にさえ小学校を四度も転校させることになってしまった。
現在、彼女を中学・高校と一貫教育の学校に通わせているが、これは心身の大事な育成期に転校を余儀なくさせ、友だちとの別れを多く経験させてしまったことへの穴埋めの意味合いもあるようだ。
鋭い視線を時に投げかけるNだが、愛娘のこととなると柔和な相貌いっぱいとなる。
Nは、身を隠さざるをえない時期がしばらく続いた。
そこでYが、Nの家族を守るために、絶えず付き添っていたという。
倒産とは、やはり一種の地獄をこの世に現出させるのだ。
だが、N夫人はとことん、明るく振る舞った。
「女房の明るさに救われました」N自身もこういってはばからないが、話を聞けば聞くほど、彼女はめったにいない、完璧なまでによくできた奥方だと感心する。
「もともと、4畳半からスタートしたんだから、家なんかなくなったっていいじゃない」豪邸を引き払うときも、愚痴の一つ、湿っぽい話の一つもしなかったというのだ。
あれほど一生懸命やってきてくれたんですもの。
たしかにうまくいかなかったことは残念だけど、いままで、普通では味わえないような経験もいっぱいできたし、これで人生が終わったわけじゃない。
また好きなようにやればいいんじゃない」。
言葉のうえだけではなかった証拠に、夫人はいまも、このころの日々を「しあわせだった」というのだそうだ。
それまでのNは、仕事がうまくいっているときはいっているときで、夜のつきあいが多かった。
家に帰りつくのは夜中を大きく回ってから。
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